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リズム運動はセロトニン神経を元気にする


  そもそも「元気」とはどういう心身の状態をいうのか、これを厳密に定義すること
 は意外にむずかしいことです。しかし、誰しも元気の状態を実感として知っていま
 す。例えば、よい睡眠がとれて、朝気持ちよく目が覚め、身体がしゃきっとして全身
 に力がみなぎり、気持ちの上でもやるぞという意欲が沸き、不安や雑念もない、こう
 いう状態を元気ということに、多くの人が賛同するでしょう。これは健康な人ならば
 ごく自然にあらわれる状態です。
  この元気の状態を演出する神経が脳の中に張り巡らされているということを、これ
 から解説していきます。最近の脳神経科学のめざましい発展を背景に、記憶とか、笑
 い、不安など、従来、哲学や心理学の領域で議論されてきたものが、少しずつ神経科
 学の言葉で説明できるようになりつつあります。そこで、「元気」という状態を演出
 する神経(「元気」の神経と仮に名付ける)に焦点をあてて、科学データを日常体験
 と結びつけて、検討していきます。
  ここでいう元気の神経は具体的に何かというと、1960年代に発見されたセロトニン
 神経のことです。初めてその名前を聞く方が多いことでしょう。脳神経科学を研究し
 ている人でさえ、セロトニン神経の名前は知っていても、それが一体どのような働き
 をしているか、はっきりとは分からないというのが現状です。アドレナリンがストレ
 スと関連することは、今日では一般的ですが、セロトニンが元気に関連することを、
 これから理解してもらえるように、分かり易く説明していきます。
  ところで、私がセロトニンと元気の関係について最初に着想を得たのは約8年前の
 ことです。それまでセロトニン神経の役割を睡眠や呼吸との関係で研究していたので
 すが、その過程で、セロトニン神経が坐禅の呼吸法によって活性化されることに気づ
 きました。それ以来、坐禅によってもたらされる効能を、日本の古い書籍や、中国の
 気功あるいはインドのヨガに関する書籍から調べ、他方で、セロトニン神経の生理作
 用について科学論文から最新データを収集し、両者の対応を検討してきました。その
 結果、両者は非常に密接な関係にあるが判明しました。すなわち、坐禅によってもた
 らされる「元気」という状態が、セロトニン神経の働きによって説明できる部分が多
 数あるのです。
 
 「セロトニン神経の身上調査」
  それでは「元気」とセロトニン神経の関係を具体的に説明していきます。まず、セ
 ロトニン神経の身上調査を行いましょう。どこに住み、どういう活動をしているかと
 いった内容です。セロトニン神経は、脳の真ん中に居を構えるという点で極めてユ
 ニークです。皆さん、右脳とか左脳という言葉をよく耳にするでしょう。基本的に脳
 は左右対称の構造になっていますが、セロトニン神経は左右の縫い合わされた部位、
 縫線核という場所に位置します。縫線核は最も古い脳である脳幹にあります。このよ
 うに原始的で、中心的な場所にあること自体、何か生命活動の根幹に関わる印象を与
 えます。
  もっと際だった特徴があります。縫線核のセロトニン神経の数はせいぜい数万個で
 すが、そこから脳全体の広い領域に、軸索というケーブルを使って情報を送っていま
 す。その対象は、大脳をはじめ、本能や情動の中枢、小脳、脊髄などで、その細胞数
 はざっと見積もっても数十億以上になります。単純にわり算をしても、一つのセロト
 ニン神経が数万個の神経に情報を送ることになります。その内容は、当然のことなが
 ら、個々の細かな指令ではありえません。全般的な内容を伝えることになります。
 オーケストラの指揮者がタクトを振ると、各演奏者が曲を奏でるのと似ています。
 個々の細かな指示を出すのではなく、全体の雰囲気を作る役割をします。具体的に
 は、意識レベルや元気の状態などに関わる指示をセロトニン神経が送ります。
 
 「覚醒時の平常状態を演出する」
  それでは、セロトニン神経の日常活動はどのようなものでしょう。睡眠中にはほと
 んど活動していません。ところが、起きて動き始める直前から、セロトニン神経は活
 動を開始します。このセロトニン神経の活動様式は、車のアイドリング機能に対応さ
 せてみると、よく似ていることが分かります。車のエンジンをかけると、規則的な低
 速の回転運動が起こり、アイドリング状態になります。この状態はあくまでも準備状
 態で、アクセルを踏み込んでエンジンを噴かし運転している状態ではありません。こ
 れとよく対応していて、セロトニン神経は、睡眠している時にはほとんど活動してい
 ないのですが、朝目が覚めると、規則的な低頻度の発射をします。覚醒中には一定の
 発射頻度を維持して、アクティブな活動の準備状態を作りだします。覚醒時の安静状
 態をつくるだけで、激しく活動する興奮状態とは全く違います。このアイドリング状
 態ではアクセルを踏めばすぐに動けるように、いつでも動き出せる準備状態にありま
 す。
  自律神経の活動では、交感神経の適度な緊張がある状態です。一般に、睡眠時には
 副交感神経が優位になり、覚醒時には交感神経が優位になります。不安になったり、
 舞い上がったりで、興奮状態になると、交感神経の活動が極度に亢進し、血圧が上が
 り、心臓が高鳴り、呼吸が荒くなります。他方、覚醒・準備状態(アイドリング状
 態)では、交感神経が適度に緊張し、血圧も、心拍も、呼吸もすべて、安静レベルに
 あります。しかし、寝ている時のように、副交感神経優位ではありません。
  心の面では平常心のある状態といえます。平常心というものは、何かを期待するで
 もなく、不安を抱くでもなく、かといって無気力なわけでもなく、何にでも即座に対
 応できる準備状態ということになります。このように、セロトニン神経は、車のアイ
 ドリングのように、体と心の平常状態を作る役目を果たしています。アイドリングが
 不安定だとすぐにエンストしてしまうように、平常状態がうまくつくれないと、鬱状
 態や自律神経失調症などに陥り易くなります。すなわち、「元気」の状態をうまく演
 出できないのです。
 
 「セロトニン神経はリズム運動で鍛えられる」
  お釈迦さまはセロトニン神経のことを知り尽くしていたのではないか、と私には思
 えてなりません。もちろん、セロトニン神経が脳内で同定されたのは50年ほど前で、
 釈迦がセロトニン神経という名前を知るはずもありません。しかし、名前は別にし
 て、脳内にセロトニン神経が存在し、ある働きをしているという事実は普遍です。そ
 れをどうやって認識するか、という違いでしかありません。神経科学的手法によって
 明らかになったのはごく最近であるとしても、釈迦は体験によってセロトニン神経の
 存在を知り、その働きを縦横に駆使する術を心得ていたように思えます。
  仏法書によると、釈迦は6年の歳月をかけて荒行を行ったとされます。あらゆる種
 類の心理的、肉体的ストレスを自らに課し、人間がどのように反応し、どこまで耐え
 られ、その結果、何が心身にもたらされるか、を徹底的に追求したとされます。スト
 レスの程度は生半可なものではなく、気を失うほどの過酷な肉体的ストレスもあり、
 狂わんばかりの精神的ストレスも課されています。医者の立場からすると、自らを被
 験者にして、自らが実験者になって、人体実験に挑んだ出来事と言えます。ストレス
 に関連する神経系には、視床下部-下垂体-副腎系や青斑核のノルアドレナリン神経な
 どが神経科学的に明らかとなっていますが、釈迦はそれらの働きを荒行によって検証
 したものと考えられます。
  ところが、釈迦は荒行によって自らの求めた境地(悟り)を得られない、と結論し
 ます。「苦行の森を出て、川をわたり、菩提樹のもとに草を敷き、足を結跏趺坐に組
 み、静かに座り、禅定に入った」とされます。アナパーナ・サチの呼吸法の発見で
 す。この呼吸法こそがセロトニン神経の働きを活性化させるものです。
  セロトニン神経が覚醒状態を演出する神経であることを既に説明しました。覚醒状
 態に関係する神経として、セロトニン神経以外に、ノルアドレナリン神経がありま
 す。両者とも、覚醒時に持続的な活動をし、広範な脳領域に軸索を投射する点で共通
 性があります。違いは、ストレスに対する反応性です。覚醒を誘発する刺激、例え
 ば、痛みや大きな音などのストレス刺激は、ノルアドレナリン神経を興奮させます
 が、セロトニン神経には全く影響を与えません。ノルアドレナリン神経の働きは、内
 外環境からのストレス刺激を検知して、不安やパニックなどの反応を誘発することと
 定義されます。脳内の危機管理センターのようなものです。
  他方、ストレスにビクともしないセロトニン神経は、何によって活性化されるので
 しょうか。これが、興味深いことに、さまざまなリズム運動なのです。歩行、咀嚼、
 呼吸などのリズム運動がセロトニン神経の活動を増強させるのです。この概念は動物
 実験データをもとにしたものですが、人間のリズム運動にあてはめて考えますと、ウ
 オーキング、ジョギング、自転車こぎ、水泳、チューインガムを噛むこと、そして、
 坐禅の呼吸法などがそれに相当します。実際、自転車こぎ、咀嚼運動、呼吸法で尿中
 セロトニン量が増加するというデータが得られています。したがって、セロトニン神
 経は、歩行、咀嚼、呼吸など、生命活動の基本となるリズム運動で活性化されると言
 えます。
  
 「坐禅の呼吸法」
  釈迦が創始したアナパーナ・サチ呼吸法は、日本では坐禅の呼吸法、欧米やインド
 ではヨガの呼吸法、中国では気功法として、今日でも多くの人々によって実践されて
 きています。いろいろ呼び方がありますが、ここでは、坐禅の呼吸法とします。
  この坐禅の呼吸法は、自律機能としての呼吸(寝ているときも休むことなく続く呼
 吸)とは全く違います。自律機能としての呼吸は横隔膜による吸息が中心ですが、坐
 禅の呼吸法は逆で、腹筋による呼息が中心です。坐禅の奥義を極めた大森曹玄によれ
 ば「下腹部の圧力で胸底から上腹部までがカラッポになるまで、十分に息を吐き出し
 ます。吐き尽くしたら下腹部の筋肉の緊張をゆるめると、吸う努力をしなくとも、自
 然に鼻から空気が入ってきます」と表現されます。
  自律機能としての呼吸は、生命活動の基盤を担う呼吸中枢によって制御されるます
 が、呼息を中心とする呼吸法は、大脳からの指令で意図的に調節されます。呼吸が意
 識的に逆転されるだけでなく、呼吸回数も一分間に数回にまでにコントロールされま
 す。このハードな呼吸努力を、線香一本分、約2-30分間、継続するのですから、それ
 は、座った姿勢で30分間ジョギングするのにも匹敵する程、大変にきびしいリズム運
 動です。
  このリズム運動がセロトニン神経を活性化するのです。坐禅による呼吸のリズム運
 動だけではなく、ジョギングなどの歩行のリズム運動、チューインガムを噛むなどの
 咀嚼のリズム運動などが、「元気」の神経であるセロトニン神経を活性化するので
 す。
  それでは、セロトニン神経が活性化されると、どういう心身の変化が現れるので
 しょうか。釈迦は「弟子たちよ、入息出息法を念ずることを実習するがよい。かくす
 るならば、身体は疲れず、眼も患まず、観へるままに楽しみて住み、あだなる楽しみ
 に染まぬことを覚えるであろう。かように入息出息法を修めるならば、大いなる果
 と、大いなる福利を得るであろう。かくて深く禅定に進みて、慈悲の心を得、迷いを
 絶ち、悟りに入るであろう」と述べています。ここでいう「入息出息法」が呼吸法の
 ことです。この坐禅の効能をセロトニン神経の働きと関連づけて説明してみましょ
 う。
 
 「背筋が伸び、顔に締まりができる」
  お坊さんは外見が非常にすっきりしています。頭を剃っているからだけではなく、
 背筋がしゃんと伸びて、顔にも締まりがあり、はつらつとしています。これはセロト
 ニン神経の活性化とよく対応します。
  セロトニン神経は運動神経に対して促通効果を発揮します。促通という言葉は医学
 用語でちょっと説明が必要です。一般に、筋肉が動くには、大脳皮質の運動野などか
 らの指令が脊髄の運動ニューロンに伝達される必要があります。脳幹にあるセロトニ
 ン神経は脊髄運動ニューロンに直接つながってはいますが、その興奮は決して筋収縮
 を起こしません。セロトニン神経の働きは、大脳からの指令で筋収縮が起こる際に、
 それを脇から増強させる働きをします。これを促通作用と呼びます。このセロトニン
 神経による促通作用が現れるのは主に姿勢筋や抗重力筋です。したがって、坐禅の呼
 吸法でセロトニン神経が鍛えられると、自然に背筋が伸び、顔に締まりがでてくるこ
 とになります。
 
 「禅と弓」
  セロトニン神経が坐禅で強く鍛えられ、それが、運動ニューロンへの促通効果を増
 強させることを示唆する興味深いエピソードがあります。中西政次という方の体験録
 です。学校の校長を辞められてから、坐禅を始め、弓を引く毎日を送るようになった
 人の体験録です。弓の上達段階に沿って記されてあります。「初期段階(7ヶ月目)
 では、弓を持って的に向かうと“リーンッ”とした一筋の気が体の中心を縦に通り、
 身体の各部が統一された感じになる。次の段階では、体が無理なく安定し、頭のてっ
 ぺんから脚の先まで“銀の柱が垂直にズーンと立つ”ように感じられる。最後は(4
 年目)、意識が透明になり、心身のどこにも固凝するものがない感じになり、“無”
 を自覚できるようになる」とあります。もちろん、この間、弓と禅を日課として継続
 しているわけです。
  セロトニン神経はこれらの諸現象をすべて説明できます。心への影響はいずれ詳し
 く取り上げることとして、弓を引くことに関しては、次のような説明が可能です。ま
 ず、身体の各部を統一する感覚が生まれてきますが、それは脳幹にある少数のセロト
 ニン神経が、脊髄のあらゆるレベルの運動ニューロンに投射して、促通効果を及ぼす
 ことで、説明できます。一握りの神経が全身の筋肉を調整するので、統一が意識され
 て当然です。また、“銀の柱が垂直に立つ”と表現される現象については、セロトニ
 ン神経が体幹部の抗重力筋の緊張を増強させることを的確に表現しています。セロト
 ニン神経は指先など末梢の筋へは投射が弱く、矢を握る手や腕の筋力へは増強効果は
 ありません。坐禅によってセロトニン神経がどんどん鍛えられると、自然に“身体に
 固凝がなくなり”同時に“銀の柱が立つ”と考えられます。弓と禅はセロトニン神経
 でつながっているのです。弓は腕力ではなく、呼吸法で鍛えられたセロトニン神経と
 体幹筋で引くのだと言えます。
 
 「心頭を滅却すれば火もまた涼し」
  禅僧が「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と唱えながら火中に飛び込む話をご存じ
 でしょう。また、寒中に滝にうたれる行者についてもテレビその他で見聞きしたこと
 があることでしょう。これは我慢強さや意志の持ち方ではなく、ちゃんとした鍛錬に
 よって作られたもの、というのが私の見解です。「元気」の神経であるセロトニン神
 経を鍛え上げると、痛みを抑える働きが生理的にできてきます。そのような実験デー
 タに裏付けられた現象と考えられます。
  セロトニン神経を鍛えるのに、禅僧は坐禅の呼吸法を何年も続けてきています。普
 通の人よりもセロトニン神経の活動レベルが高く維持されていると考えられます。そ
 の鍛錬の結果、過酷な暑さや寒さをコントロールできるようになっている、と考えら
 れます。そのような修行をしていない普通の人が、いきなり、気持ちの持ち方だけで
 うっかり挑戦すると、大怪我をすることになります。
  それでは、セロトニン神経はどうして痛みを伴う感覚を抑えることができるので
 しょうか。皮膚にある感覚受容器が麻痺するわけではありません。感覚受容器からの
 情報が脳神経系に伝達される途中で、セロトニン神経は鎮痛効果を発揮します。一つ
 は感覚神経が脊髄に入るところで起こります。次が、痛みを伴う情報がストレス反応
 に変換されるところで起こります。更に、ストレス情報が恐怖や不安などの情動を起
 こすところでも抑制作用が現れます。このように、痛みの感覚情報が順次に処理され
 ていく過程で、セロトニン神経は抑制作用を発揮します。
  ところで、痛みの感覚が完全に喪失してしまうとどうなるでしょう。当然のことな
 がら、やけどや凍傷になっても全く気づかないことになり、全身傷だらけになってし
 まいます。痛みの感覚は私たちの身体を守ってくれる大切な働きと言えます。した
 がって、むやみに痛みがコントロールできればよいというものでもありません。痛み
 と程良くつきあって生きていくことこそ、一番元気な姿と言えるのではないでしょう
 か。
 
 「心の元気:切れる子供」
  うつ病で自殺した人の脳を調べてみたら、ある共通点が見つかりました。脳の中で
 作られる神経伝達物質、セロトニンの濃度が、一般の人よりも低かったのです。心の
 病には、少なからず脳内の神経伝達物質が関係していますが、なかでもセロトニン
 は、うつ病、パニック障害、切れやすい子供などに深く関わっています。これらの病
 気の治療薬として、脳内のセロトニン量を増やすクスリ(SSRI;選択的セロトニン再
 取り込み阻害薬)が欧米を始め日本でも繁用されるようになってきています。
  最近、子供が切れることが社会問題化して、その原因がいろいろと議論されていま
 す。私は、セロトニン神経が弱っているために切れる子供が作られると考えていま
 す。そして、セロトニン神経が弱る背景には、現代の子供が置かれている生活環境が
 あります。それは、家の中に閉じこもって、何時間もテレビゲームに耽ることが許さ
 れる生活環境です。
  セロトニン神経は普通に生活していれば、特に弱ることがありません。生まれつき
 セロトニン神経に異常がある場合には、さまざまな障害がでて、当然のことながら、
 学校教育の問題とはなり得ません。遺伝的にはセロトニン神経に異常がない子供が、
 生後発達の段階で、セロトニン神経の働きを弱らせてしまう可能性があります。通信
 簿の5段階評価で言えば、普通に生活すればセロトニン神経の活動レベルが3の評価を
 得られるものが、生後発達で弱らせてしまえば、2や1になり、積極的に鍛えれば4や5
 になり得ます。
  学力や運動能力の発達に、私たち親は心を砕きますが、心の発達についてはあまり
 関心が払われていないように思えます。というよりも、どうすればいいのか、十分に
 情報が提供されていないのが現実です。心を鍛えるということは、必ずしもスパルタ
 教育をさすものではありません。音楽や絵を教えることでもありません。感情をコン
 トロールし、心を元気に保つことです。こんなことは、子供達の毎日の遊びや生活の
 中で自然に身につけていくことで、ことさら言うべきことではないはずです。しか
 し、ここに今日、問題が出てきているのです。この働きにおいて、中心的な役割を果
 たすのが、セロトニン神経です。
  セロトニン神経が弱っている子供は、いつの時代でもある程度はいてもしかたがな
 いと考えられます。ところが、最近はその割合が多くなって、学校教育に支障が出る
 までになってしまった。現代社会が切れやすい子供を増やす生活環境と生活習慣を作
 りだしている可能性があります。
  私たち、戦後のベビーブームに生まれ育った者には、今の子供の環境が如何に昔と
 違うか、よく分かります。戦後の焼け野原で、ちゃんばらをし、草野球をして、子供
 時代を過ごした者には、現在の子供が家の中でテレビゲームに何時間も耽っているこ
 とを、ヘンだと思う。閉じこもって身体を動かさない問題だけではない。テレビゲー
 ムにはバーチャルな世界が広がっていて、その中でハラハラ、ドキドキの興奮があ
 る。人とのじかの触れ合いがない奇妙な世界です。そういう環境の中で、セロトニン
 神経はまともに発達しません。もちろん、セロトニン神経だけではなく、さまざまな
 神経が発達障害を起こして不思議ではないのですが、特に、セロトニン神経に問題が
 でてくるようになります。
  さらに言えば、親の側にも責任があります。私たちの子供の時代には、外で遊べと
 怒鳴る親がいました。ところが、今は、怒るべき親がテレビゲームの世界を楽しんで
 いる。テレビゲームに耽る生活習慣が是認され、日常化しています。セロトニン神経
 が弱るのは、現代の親と子が共有する生活の中に原因があります。一種の生活習慣病
 だといえます。
  生活習慣病といえば、大人の成人病である高血圧や糖尿病などの成人病がよく知ら
 れています。これら成人病は、毎日繰り返す生活習慣の中に原因があり、その蓄積が
 体の歪みとなって現れます。それと同じで、悪しき生活習慣が、子供の脳の発達に歪
 みをもたらし、セロトニン神経を弱らせ、それが、切れる子供を作っている。切れる
 子供は現代の生活習慣病であると言えます。
 
 「セロトニン神経が弱ると・・・」
  セロトニン神経が弱ると、ちょっとしたことで興奮し、それを制御できなくなりま
 す。大人のパニック障害と共通のメカニズムがあります。過食と拒食を繰り返す摂食
 障害もセロトニン神経の障害が疑われています。
  それだけではありません。セロトニン神経が覚醒状態をうまく演出できなくなるの
 で、朝の寝起きが悪くなります。起きてもなかなか調子が出ない。交感神経の適度の
 緊張が起こらない。車で言えば、エンジンをかけてもアイドリング状態が安定せず
 に、すぐにエンストしてしまう。
  また、姿勢筋や抗重力筋への促通効果も弱まって、姿勢が悪く、すぐにしゃがみこ
 んでしまいます。幼児では、首が坐らず、腰が立たない。ハイハイや歩行もうまくで
 きないということになります。学校保健で、噛めない子供がいるとされますが、それ
 も起こり得ます。更に、痛みに対する反応が過剰で、コントロールがきかない。
 ちょっとした痛みで大騒ぎすることになります。これらは、セロトニン神経が弱った
 時に発生すると考えられる症状ですが、切れる子供にあらわれる現象に良く当てはま
 ると考えられます。
  これらとちょうど正反対の現象が、坐禅の呼吸法でセロトニン神経を鍛えた人々、
 お坊さんに認められます。平常心が養われ、ストレスを受け流すことができます、早
 朝からの修行を淡々とこなし、姿勢がしゃんとして、顔に締まりがあり、はつらつと
 している。痛みを伴う荒行も難なくこなせるようになる、などなどです。
  切れる子供、パニック障害、うつ病などの治療に、欧米はじめ日本でも、SSRI(選
 択的セロトニン再取り込み阻害薬)が使われてきています。脳内のセロトニン濃度を
 高く維持するクスリです。欧米では、最近、風邪薬のように汎用されているとも言わ
 れます。副作用の心配もあり、クスリを使わずに、何とかしたものです。生活習慣病
 であれば、なおさら、クスリを使わずに克服したいものです。自分にあったリズム運
 動を継続することで、セロトニン神経が活性化されるのです。副作用がないのも魅力
 です。弱ったセロトニン神経を鍛え直そうではありませんか。
 
 「息を詰める生活」
  息抜きといえば、仕事を離れてリラックスすることで、逆に、息を詰めるという
 と、ハードな仕事を長時間こなすことを意味します。このように呼吸が仕事やリラッ
 クスと密接な関係にあることを、解剖学者で芸大教授であった故三木成夫氏が説いて
 います。
  私たちは生きるために呼吸します。生まれてから死ぬまで、寝ているときも休むこ
 となく呼吸のリズム運動をやめません。自律機能としての呼吸がそこにあります。と
 ころが、この自律性の呼吸を、仕事の緊張は、知らず知らずのうちに抑えてしまいま
 す。仕事に集中するあまり、無意識のうちに息をつめてしまいます。特に、最近はデ
 スクワークが多く、コンピュータ画面を見ながら、ほとんど身体を動かさない。エネ
 ルギー消費の点では睡眠時とほとんど変わらないので、呼吸量も少ない。ところが、
 やっかいなことに、仕事で緊張している時には、呼吸を無意識のうちに強く押さえつ
 けて、浅くて小刻みな呼吸パターンになっています。寝ているときには、静かでゆっ
 たりとした呼吸パターンをしているのとは大きな違いです。
  現代の子供がファミコンによる息を詰める生活を日常化させると、セロトニン神経
 が弱ってしまう可能性を先に説明しました。実際、ファミコンをやっている時に、呼
 吸を測定してみると、ほとんど呼吸をしてない位に、息をつめています。それを、毎
 日、しかも、数時間も繰り返していたら、セロトニン神経は弱ってしまっておかしく
 ありません。ふつうに生活していれば、3のレベルのセロトニン神経の活動が、2や1
 に落ちてしまいます。ファミコンによる息をつめる生活が日常化してしまうと、セロ
 トニン神経が弱り切ってしまい、気分を落ち込ませ、感情を制御できなくし、それが
 きれる子供を作ってしまう、と考えられます。
  その解決策は、いわゆる「息抜き」を積極的に取り入れることです。リズム運動な
 ら何でもよい、それを最低30分行えばよいのです。カラオケで大いに歌いまくるの
 も、一種の呼吸リズム運動の活性化につながります。身体を動かすリズム運動では、
 ジョギング、ウオーキング、エアロビクスなど、いろいろなものがあります。幼児で
 は、ハイハイ運動もそのようなリズム運動に含まれるでしょう。それらで息を上げれ
 ば、単に代謝を活発にする効果だけではなく、「元気」の神経であるセロトニン神経
 も生き返らせる効果があります。息抜きは元気に不可欠と言えるでしょう。
 
 「あがり克服法」
  日テレ番組「特命リサーチ200X」で「ヒトはなぜアがる?」というテーマで、「元
 気」の神経、すなわちセロトニン神経が紹介されたことがあります。セロトニン神経
 が、パニックや不安で興奮する脳神経(脳幹のノルアドレナリン神経)に対して抑制
 作用を及ぼし、その働きが強い場合に、ヒトはあがりにくい、という番組に仕上がっ
 ていました。
  セロトニン神経を鍛える方法としては、これまで繰り返し説明してきたように、リ
 ズム運動がもっとも有効です。呼吸は典型的なリズム運動ですが、これを自らの意思
 で積極的に繰り返す(坐禅やヨガの呼吸法の実践)ことによって、セロトニン神経が
 鍛えられ、それが、あがり克服法として有効である、と番組は締め括られていまし
 た。
  これに関連して、ヨガ教室の先生から次のような具体例を聞いたことがあります。
 お茶の師匠で、お手前の際、どうしても手が震えて困っていた人が、ヨガ教室に通っ
 て、それを克服できたというのです。手が震えるのは、あがりの症状です。それは、
 不安やパニックに関係するノルアドレナリン神経の興奮に基づく、交感神経の緊張状
 態と説明されます。この時、心臓がドキドキし、血圧が上がり、手に汗も出るはずで
 す。セロトニン神経はノルアドレナリン神経が活性化される経路を抑えることで、そ
 のような緊張を未然に防ぐ効果があります。ただし、既にあがってしまっては、もは
 や抑えられない。セロトニン神経は、火事が起こったときの消防士の役ではなく、未
 然に防ぐ火の用心の役です。あくまでも未然に抑えるというところにポイントがあり
 ます。
  人前でスピーチをする時も同様な現象が起きます。心理学ではコミュニケーション
 不安といわれます。人によって程度の差はありますが、極端な場合には、手や声が震
 えるだけではなく、頭の中が真っ白になり、満足なプレゼンテーションができなくな
 ります。こういう時に、事前に呼吸法を実践しておくと、非常に効果的であり、前述
 のお茶の師匠の場合と同様に、不安や緊張症状が軽減、解消されます。緊張を消すた
 めに、わざわざ酒を飲む人もいるといわれます。いい薬があれば、それに頼ろうと思
 う人もいるでしょう。それに較べると、呼吸法は簡単で、全く副作用、悪影響を残さ
 ない点で、優れています。ただし、数回の深呼吸ではダメで、腹筋を使った腹式呼吸
 を最低10分以上繰り返す必要があります。
 
 「パニック発作との関係」
  パニック発作は不安と関係した心身の特殊な状態ですが、その特徴は窒息感を伴っ
 ているという点にあります。一般に、不安な時には呼吸が乱れます。過呼吸症候群と
 いう心の病からも分かるように、心の状態と呼吸は密接に関連します。パニック発作
 の場合には、窒息感という最も重い症状が現れます。ここで注意しなければいけない
 ことは、実際に窒息状態にはなっていないことです。首を絞められているわけでもあ
 りませんし、気道が詰まっているわけでもありません。にもかかわらず、窒息して死
 ぬのではないかという恐怖に襲われます。これは窒息感を起こす脳内機構に異常があ
 ると言えます。
  そもそも、窒息感がどういう機構で発生するのか、例えば、喉に餅を詰まらせた場
 合を想像して下さい。肺に空気が入って来ませんから、血液中の酸素がどんどん低下
 していきます。その異常は脳の入り口付近にある動脈のセンサーによって検知され、
 呼吸中枢のある延髄を介して、青斑核のノルアドレナリン神経に伝えられます。この
 神経は、前回の「あがり」の機構にも関係していたものですが、生体に加わるさまざ
 まの危機に際して興奮し、警報を発する役目をしています。いわば、脳内にある危機
 管理センターのようなものです。
  危機に際して警報を発令する場合、判定をどうするかというむずかしい問題があり
 ます。天気予報や地震などで警報を発令するときのむずかしさにも通じます。血液の
 酸素レベルが低下することは、窒息に限らず日常的に起こります。運動の開始や精神
 的な興奮など、いろいろな日常活動によって、軽い酸素欠乏は絶えず起こります。そ
 の度に窒息警報を出していてはたまりません。そこで、ノルアドレナリン神経の活動
 に対して、ある程度の抑制をかける微調整が必要となります。その役割をするのが、
 元気の神経であるセロトニン神経、ということになります。ちょっとした変化には動
 じない心の状態を演出してくれます。
  ところが、セロトニン神経の働きが弱っていますと、ほんの僅かの変化ですぐに窒
 息警報が発令されてしまいます。これがパニック発作のメカニズムです。この考え方
 は「パニック発作の窒息警報誤作動仮説」としてクラインという精神科医によって提
 唱されたものです。パニック発作の治療にセロトニン神経を活性化する薬が有効であ
 ることからも、この説は裏付けられます。
  なお、パニック発作を克服するには、元気の神経であるセロトニン神経を鍛えれば
 よいわけで、ウオーキング、ジョギング、エアロビ、水泳、カラオケなど、いろいろ
 な「息抜き」を含めたリズム運動の継続が有効です。
 「ダイエットを成功させるために」
  不安や恐怖に関するノルアドレナリン神経に対して、心の元気を演出するセロトニ
 ン神経が抑制性作用を及ぼすことをこれまで説明しました。次に、セロトニン神経が
 欲望(食欲や性欲)に関連するドパミン神経を抑制することに焦点を当てます。それ
 は、ダイエットを成功させることにも通じるものです。
  本能的欲望を発現させる神経として、ドパミン神経が脚光を浴びるきっかけとなっ
 たのは、50年ほど前に報告されたおもしろい実験です。ラットの脳内に刺激用電極を
 挿入して、ラットに自由に刺激レバーを押させるようにしておきます。刺激電極の位
 置をいろいろに変えて実験しているうちに、ラットが何百回となく続けて自己刺激を
 繰り返す場所が見つかりました。その場所は動物に快感を与えると判断され、快の情
 動中枢と呼ばれるようなりました。一般に、食欲や性欲などの本能的欲求が満たされ
 た時、動物(人間も含めて)は快感を体験し、それに伴う生理的反応や行動が出現す
 るようになります。この快の情動反応で主要な役割を果たすのがドパミン神経であ
 り、それは中脳の腹側被蓋野という場所にあります。確かに、餌を見せたり、性に関
 する匂いを嗅がせると、そのドパミン神経は興奮します。
  さて、この欲望に関連するドパミン神経は、セロトニン神経によって抑制されるこ
 とが動物実験で明らかにされています。すなわち、セロトニン神経が活性化される
 と、本能的欲望を抑制できるようになるのです。セロトニン神経は、坐禅の呼吸法や
 ジョギングなどのリズム運動で活性化されることをこれまで説明してきましたが、そ
 の結果として、無理なく、本能的欲望である食欲や性欲を調節できることになると言
 えます。
  これに関連して、呼吸法の創始者である釈迦の本に、本能的欲望と戦う興味深いエ
 ピソードが示されています。釈迦が修行の森を出て、菩提樹の下で呼吸法を実践して
 いると、魔王が邪魔に入るとされます。すなわち、三人の妖艶な娘を派遣して、誘惑
 するのです。しかし、釈迦は誘惑には全く乗らず、魔王はついに撤退することになる
 のですが、この仏法的エピソードを神経科学的に解釈すると、呼吸法の実践によって
 セロトニン神経が強く活性化されている状態では、欲望によって興奮するドパミン神
 経の活動を生理的に抑制できる、というものです。
  このように、セロトニン神経を呼吸法やジョギングなどのリズム運動で鍛えておく
 と、食欲や性欲などの本能的欲求を無理なく調節できるのです。ダイエットのため
 に、欧米ではセロトニン関連の薬が使われているといわれますが、私は副作用のない
 リズム運動の実践をお勧めしたいと思います。
 
 「無について」
  坐禅の呼吸法を実践し続けて何年か経過すると、やがて無の境地に到達するとされ
 ます。この現象を生理的に解釈し、それをセロトニン神経との関係から考えてみま
 しょう。そもそも無の境地というものは限られた人にしか体験できないもので、定義
 するのは簡単ではありません。無について書かれた著述を参考にして、今、仮に、
 「あらゆる感覚入力および想起される雑念について、それらを一切注意することなく
 受け流せる状態」と定義してみます。この現象にセロトニン神経が関与することを説
 明してみましょう。
  私たちは絶えず外界からの感覚刺激を受けて生きています。目からの視覚情報、耳
 からの聴覚情報、皮膚からの触覚、痛覚など、いわゆる五感からさまざまの入力を受
 けて生活しています。多くの感覚入力は、その場で捨て去られますが、生命に危険の
 ありそうな感覚入力には注意が向けられて、一時的に記憶情報として蓄えられます。
 このような機能を司る神経として、海馬という構造が大脳皮質の内側(大脳辺縁系)
 にあります。情報処理という点では、図書館の受付のような役割をします。
  一般に、図書館という所は、大量の情報を書庫に蓄え、必要に応じて情報を参照で
 きるようになっていますが、日々の新しい情報も絶えず選択され書庫に追加されま
 す。脳の中で、書庫に相当する役目をするのは大脳皮質の側頭葉で、海馬は側頭葉へ
 の入り口に位置し、種々の感覚入力の中から記憶情報を選別しています。すべての感
 覚情報を記憶に留めていては、書庫である側頭葉はすぐにパンクしてしまいます。不
 要な感覚情報は積極的に捨て去る機構が必要で、その役目を担うのが海馬に投射する
 セロトニン神経です(セロトニン神経自体は海馬から遠く離れた脳幹にあるので、わ
 ざわざ投射という表現をします)。セロトニン神経が活動していると、海馬での記憶
 情報処理は抑えられる方向になります。セロトニン神経は覚醒時に一定の活動レベル
 を維持していますが、注意行動に際して一時的に活動を停止する特徴があります。こ
 の時、海馬の記憶情報処理に対するセロトニンの抑制作用が消えることになり、この
 時に入力された感覚情報だけが記憶される方向になります。
  このように、セロトニン神経の活動に依存して、情報処理機能が変動することにな
 ります。うつ病の人は一般にセロトニン神経の活動が弱っているとされますが、その
 ため、海馬での記憶情報処理を抑えるセロトニン神経の働きが健常人よりも低下して
 いると考えられます。それは、注意する必要のないようなことでも気になる(記憶に
 留めてしまう)ということにつながります。逆に、坐禅の呼吸法によってセロトニン
 神経が鍛えられていますと、些細なことには動じない心が養われることになります。
 これが高じてくると、あらゆる感覚入力を一切注意することなく受け流せる状態、す
 なわち無の境地に到達すると考えられます。このように、セロトニン神経の働きは、
 坐禅の無についてもある程度説明できる可能性があります。
 
 「ハッとした時、セロトニン神経の活動が止まる」
  坐禅の呼吸法によってセロトニン神経を鍛えると、あらゆる感覚情報を注意するこ
 となく受け流せる状態(無の境地)になることを、脳の情報処理機構に関連づけて説
 明しましたが、ここでは、ハッとして注意を集中することが、セロトニン神経の活動
 を一時的に止めてしまうという側面に焦点を当てます。これは動物実験のデータです
 が、我々の経験に照らして見てみましょう。
  これまで、弓と禅は不可分の関係にあり、その仲介をするのが、呼吸法で活性化さ
 れるセロトニン神経であることを、いろいろの側面から説明してきました。これまで
 はセロトニン神経の運動ニューロンへの促通効果が中心でしたが、ここでは、セロト
 ニン神経が一時的に止まる話です。これに関連したエピソードとして、「弓と禅」を
 著したオイゲン・ヘリゲルの体験談を示してみましょう。ヘリゲル氏はドイツの哲学
 者で明治時代に東北大学の客員教授として数年間日本に滞在しました。日本文化を知
 る一助にと弓を習うことにしたのですが、実際に始めてみると、簡単にはいかない。
 坐禅のマスターと弓道修行が表裏一体の関係にあることを理解して、次第に弓の腕が
 上達していくのですが、修行の最終段階で、弓の師匠は「矢を放つ前に的に意識を集
 中するな」と難題を突きつけます。的を射るのに、的を見るなということがどうして
 も納得できません。弓の師匠は言葉で説明せずに、ろうそく一本の暗闇で見事に的を
 射抜いて見せることで、ヘリゲル氏を納得させます。師匠が言葉で表現できなかった
 内容は、おそらく、何かに意識を集中する行為が、セロトニン神経の活動を一時的に
 止めてしまう可能性がある、ということではなかったかと想像されます。的だけでは
 なく、弓を引く体全体に意識を広げた状態を維持できれば、セロトニン神経を高いレ
 ベルに保ったままで、弓を射る行為が完結できるわけで、それは、いわゆる真の射に
 通じるものと思われます。
  似たようなことが武道の世界で見られます。沢庵和尚が剣の極意について柳生但馬
 守に送った書簡「不動智神妙録」にも同様の内容のことが書かれてあります。「・・
 ・万一もし一所に定めて心を置くならば、一所に取られて用を欠くべきなり。思案す
 れば思案にとらるる程に、思案をも分別をも残さず、心をば総身に捨て置き、所々に
 止めずして、其所々にあって用をば外さず叶ふべし」と。沢庵和尚のいう「心を一所
 に止めるな」という教えは、剣術の場では注意を何かに集中すべきではない、と置き
 換えることができます。それは、平常心を演出するセロトニン神経の働きにとって、
 一つのことに注意を集中することは、心身のスムーズな働きを抑制する効果になる、
 という生理的データに対応するものと考えられます。
 
 「疲労はセロトニン神経の大敵」
  元気の神経であるセロトニン神経は各種のリズム運動で活性化されますが、マラソ
 ンも典型的なリズム運動であり、それによってセロトニン神経が活性化され、心身共
 に元気の状態になります。ところが、このセロトニン神経は疲労物質である乳酸に
 よって抑制される、というやっかいな性質があります。すなわち、リズム運動が長期
 になり、心身が疲労して、乳酸が身体と脳に蓄積してくると、セロトニン神経の働き
 が抑えられてしまうのです。それまで元気の状態を作り出してくれていた神経が、働
 かなくなってしまいます。最も深刻な場合には、なにもかもやる気がなくなってし
 まって、いわゆるスランプ状態に陥ってしまいます。セロトニン神経が弱って、うつ
 状態になったときに対応します。
  乳酸が心に影響することは、パニック発作の誘発法に、乳酸を点滴する診断法があ
 ることから分かります。この場合、パニック発作に直接関わる神経(青斑核ノルアド
 レナリン神経)とそれを抑制する神経(セロトニン神経)との相互作用が関与しま
 す。乳酸がセロトニン神経の働きを弱めて、不安を起こす神経であるノルアドレナリ
 ン神経を抑えられなくなることが原因です。乳酸はセロトニン神経終末におけて、セ
 ロトニン再取り込み機構を促進させる作用をします。それは、パニック発作の治療薬
 であるSSRI(選択的セロトニン再吸収阻害薬)の作用とは逆です。SSRIはセロトニン
 再取り込みを抑制して、弱ったセロトニン神経の活動を見かけ上、活性化させます。
 ところが、乳酸は、例えセロトニン神経の活動自身が落ちていなくとも、標的細胞へ
 の作用を減弱させます。それが、不安のノルアドレナリン神経に影響すると、不安を
 コントロールできなくし、パニック発作を誘発します。
  同じ様な機構で、運動が過度になり、疲労物質である乳酸が蓄積してきますと、本
 来なら元気を演出してくれるはずのセロトニン神経の働きが十分に発揮できなくな
 り、スランプ状態を作り出してしまうのです。このような状況では元気の神経はもは
 や役に立たなくなります。
  それを克服するには、まず休養が一番です。しかし、それでも継続しなければなら
 ない状況の時には、役に立たなくなったセロトニン神経に頼るのは考え物です。
  こういうときには、気持ちの切り替えが大切です。やる気を起こす神経(ドパミン
 神経)を奮い立たせるのも一つの方法でしょう。先のオリンピックの女子マラソンで
 優勝した高橋尚子選手には、小出監督という名監督がいることをよくご存じでしょ
 う。テレビなどで監督の話を聞いていると、非常にポジティブ思考の人であることが
 分かります。マラソンでは必ず辛い心身の状況が訪れます。それを支えてくれるの
 は、心の持ち方であることは誰でも知っています。苦しさに耐えるという発想ではな
 く、前向きに気持ちを切り替えて、克服する方法が効果的であることを小出氏は監督
 生活の中で会得してきたのではないかと想像されます。あと何キロ走らなければなら
 ないという後ろ向きの発想と、あと何キロでゴールだ、がんばろうという前向きの発
 想とでは、脳内回路の働かせ方が違います。後者は、やる気を起こすドパミン神経が
 主役を演じると考えられます。
 
 「心の三原色」
  心を演出する神経には、三つの主要なものがあります。平常心を司るセロトニン神
 経、快や意欲を形成するドパミン神経、不安や警報を発するノルアドレナリン神経の
 三つです。これら三種類の神経が相互に影響しあって、心の彩りを作るものと考えら
 れます。それはちょうど三原色の組み合わせで、さまざまの色が作られるのと似てい
 ます。
  元気の神経として解説してきたセロトニン神経は、ドパミン神経やノルアドレナリ
 ン神経に抑制作用を及ぼすことによって、平常心を演出します。坐禅の呼吸法やジョ
 ギングなどのリズム運動がセロトニン神経を鍛え、それによって平常心が養われ、
 ちょっとしたことで気持ちが舞い上がってしまうこともなく、逆に、すぐに切れやす
 くなることもなくなります。他方、絶えず息の詰まる生活を続けると、セロトニン神
 経が弱ってしまい、こころの制御がむずかしくなります。こういうセロトニン神経
 は、色で言えば、緑に相当します。この神経に最も縁の深い人物は、呼吸法を世界に
 広めたお釈迦さんということになるでしょう。
  心の赤色を演出するのは、ドパミン神経です。これが非常に強い人物が、ジョンF
 ケネディ(1960年代のアメリカの大統領)といわれます。新しいものに絶えず好奇心
 をもち、飽くことなく喜びや快を追求し、何にでも果敢に挑戦していく人物です。い
 ろいろなものに興味を持つが、飽きるのも速く、絶えず移り変わっていくという欠点
 があります。モンローのような魅力的な女性に対しても例外ではなかったようです。
  ノルアドレナリン神経は青色です。この神経はストレスや不安を受け持ち、冷たい
 イメージがあります。この神経がなければ、不安や恐怖が消えて、どんなにか幸せだ
 ろうと、想像されます。しかし、痛みを感じない患者のことを考えて下さい。もし痛
 みを感じなければ、全身傷だらけで、それでも本人は気づかないということになりま
 す。極めて悲惨な状況で、当然、生存が脅かされます。人類が今日まで生存し続けて
 来られたのは、危機管理システムとして働くノルアドレナリン神経のお陰であるとい
 えます。
  これら三つの神経の働きが相互に影響しあい、さまざまな心の状態が生じます。緑
 のセロトニン神経(平常心)、赤のドパミン神経(やる気)、青のノルアドレナリン
 神経(不安)がそれぞれ組合わさった心の彩りを、マラソン時の心の変化に関連づけ
 て、想像してみましょう。
  マラソンの大会が始まる前には、誰でも緊張があるもので、完走するぞという「や
 る気」と、アクシデントはないかという「不安」が入り交じって、心の色は赤と青と
 の混合で、紫色ということになるでしょう。
  スタートの号令で走り始めると、リズム運動で活性化されるセロトニン神経が働き
 始めます。心の色は一気にセロトニンの緑色に変わります。セロトニン神経はドパミ
 ン神経とノルアドレナリン神経を抑制する働きがありますから、不安も取れ、また、
 はやる気持ちも落ち着いて、淡々と「平常心」で走り続けることになります。
  緑一色で爽快に飛ばしてきても、人間、いずれ疲労が出てきます。疲労物質である
 乳酸はセロトニン神経の働きを弱めますので、心の色は緑から次第に紅葉に変化して
 いきます。それまで抑えられていたドパミン神経とノルアドレナリン神経の働きが前
 面に出てくることになります。どちらが心の彩りを支配するかによって、その後の
 レース展開は全く変わってきます。
  例えば、いっしょに走っていた人がスパートをかけて、追い抜かれてしまうと、や
 る気が失せ、苦痛やストレスが前面にでてきます。不安やストレス時に働くノルアド
 レナリン神経が心の彩りを支配します。この時、走るのをやめれば、気持ちは限りな
 くブルーに冷え込んでいきます。ただし、それでも必死に走り続ければ、セロトニン
 神経とノルアドレナリン神経の混合で、深緑色、苔色になります。その心情はわびや
 さびの心に通じるものがあるかもしれません。
  一方、思いがけない声援や、ポジティブ思考を積極的にもつことによって、ドパミ
 ン神経が前面に出てくると、心の色は赤プラス緑で、茶色、赤銅色になります。土の
 滋養や熱せられた鉄を感じさせます。疲れてはいても、逞しい走りが期待できます。
 やはり、元気や平常心を演出するセロトニン神経が弱ってきた時には、ポジティブ思
 考でやる気を奮い立たせ、ドパミン神経を活性化させることが大切なのかもしれませ
 ん。
  なお、セロトニン神経を徹底的に鍛え抜けば、どのような状況でもエバーグリーン
 の心の状態が得られるはずです。
 
 「只管打坐と自己受容体」
  坐禅には「只管打坐の仏法」といって毎日実践しなければ、その効能が現れないと
 いう厳然たる経験則があります。坐禅の奥義を極めても、毎日やらなければ、やがて
 効能が消えていきます。この現象をセロトニン神経の特徴から説明してみましょう。
 セロトニン神経にはオートレセプター(5-HT1A自己受容体)という機構が備わってい
 ます。セロトニン神経が興奮すると、オートレセプターを介して自己にネガティブ
 フィードバックをかけ、増えた活動を抑えてしまうという、やっかいな特性です。こ
 のため、簡単にはセロトニン神経の活動レベルは高く維持し続けられません。この
 オートレセプターの数が多いと、普段からセロトニン神経は抑えられる傾向にあり、
 逆に、オートレセプターが少なければ、セロトニン神経の活動レベルが高く維持され
 ることになります。したがって、オートレセプターの数を調整することが、セロトニ
 ン神経を弱めたり、鍛えたりする時に、大切なポイントとなります。オートレセプ
 ターは一種の蛋白ですから、遺伝子の発現を変えるような持続的な変化が加わり続け
 ればよいわけです。どうするのかといえば、オートレセプターを絶えず繰り返し刺激
 し続けてやると、やがてオートレセプターの数が適応性に減少していきます。オート
 レセプターを形成する遺伝子の発現にオフの調整がかかった結果と考えられます。こ
 のプロセスが完成するには、数週間から数ヶ月を要します。坐禅が一朝一夕には極め
 られないこと、また、やり続けなければならないという経験則、すなわち只管打坐に
 対応します。毎日坐禅を繰り返し実践すれば、セロトニン神経が繰り返し賦活され、
 オートレセプターも繰り返し刺激を受け続けます。数週間もすると、オートレセプ
 ターの数が減少して、セロトニン神経の活動レベルが普段から高いレベルに安定する
 ということになります。坐禅はただひたすら継続してこそ意味がある、すなわち、道
 元のいう只管打坐ということは、セロトニン神経の自己抑制回路によって説明可能な
 のです。
 
 「セロトニン神経の鍛え方」
  セロトニン神経の働きが弱って、スランプやうつ状態、あるいは、切れやすい状態
 になったときに、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が使われることを述べ
 ましたが、使い続けると依存性の問題もでてきますし、服薬を中止すると症状が悪化
 することもあります。そこで、日々の暮らしの中でリズム運動を意識して実践するこ
 とによって、少しずつセロトニン神経を鍛えることをお勧めします。時間はかかりま
 すが、呼吸法、ジョギング、ウオーキング、など自分に合ったリズム運動を根気よく
 続ければ、自らの力で心身を元気にし、うつ状態やパニック発作を克服できるので
 す。
  リズム運動を実践するときに、セロトニン神経の特質を考慮すると、次のチェック
 ポイントに注意して下さい。
 1  リズム運動は自分に合ったものを選択して下さい。長続きするものがお勧めで
 す。子供にはウオーキングや自転車こぎがよいかもしれません。若い人には、ジョギ
 ング、エアロビクス、チューインガムを噛むなどが勧められます。中高年には、ウ
 オーキングや呼吸法がいいかもしれません。この他、リズム運動なら何でもいいで
 す。太鼓を叩くのも、念仏を唱えるのも、水泳でも、OKです。ともかく、無理なく継
 続できるものがお勧めです。
 2  リズム運動は最低5分、通常20-30分、集中してやる必要があります。意識をリズ
 ム運動だけに集中しなければ効果がありません。だらだらと意識を散漫にしては、セ
 ロトニン神経は活性化されません。それから、無理や、やり過ぎも禁物です。30分以
 上のリズム運動では、疲労に気を付けて下さい。乳酸は大敵です。
 3  できれば毎日継続して下さい。毎日は無理でも継続が不可欠です。効果が自覚で
 きるのは、約3ヶ月です。次第に、心身に元気がでてくるはずです。1週間位ではダメ
 です。途中、逆に元気が無くなることもあるはずですが、3ヶ月継続すれば、セロト
 ニン神経のオートレセプターが減ってくると考えられます。ただし、それで辞めれ
 ば、また元の状態にもどります。自分の生活習慣にするほかありません。
 4  セロトニンの原料は必須アミノ酸であるトリプトファンです。それは、バナナ、
 大豆製品(納豆など)、チーズなどの乳製品に豊富に含まれています。さらに、摂っ
 たトリプトファンが脳内へ取り込まれ易くするには、炭水化物中心の食生活がよいと
 されます。なお、サプリメントとしてセロトニン自信を摂取することは間違いです。
 必ず副作用がでます。間違ってもやらないで下さい。
 
 
 これは1999年7月から2001年12月まで、旬刊「経理情報」のコラム「健康ランド」に
 連載された「元気の神経」をもとに、加筆・修正したものである。